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広島で補完代替医療を推進するカイロプラスの主人が
時々に感じたままに綴ったブログ。
まじめに言いたい放題で
スピリチュアル、セラピー、ヒーリング
そして不思議なことに挑戦します！


私のブログ　vol.1
～スピリチュアル、セラピー、ヒーリング、不思議～
（２００７年２月～６月のブログを加筆修正しています）

森　泰人　著


Published by Hiroto Mori at Smashwords
Copyright 2012 Hiroto Mori

Smashwords Edition,License Notes


＊＊＊目次＊＊＊
１．あるがままに生きる
２．２本目のわら束
３．マイロード・マイペース
４．目標設定
５．尊徳のすすめ　①
６．尊徳のすすめ　②
７．運命は変えられるか？
８．運命は変えられるか？　YES！
９．モワレ現象
１０．３元の世界？
１１．やっぱりセンターリングから
１２．幻肢痛
１３．口癖をチェックせよ！

著者プロフィール


＊＊＊～～～＊＊＊


１．あるがままに生きる

言わずと知れた足立幸子さんの著書だ。今から２０年前の１９９２年１２月の講演録を元に編集された本で、今なお書店によっては平積みされているベストセラー。私が読んだのは１９９７年ごろ、その後折りに触れて繰り返し読んだ座右の書のひとつ。

あるがままでいいのだという考えは深い。頭で考えるより直観で生きることを勧める。「個にして全」という小題のなかに次のようなくだりがある。

・・これからは、この個人を越えた、全員つながった所の自分で生きていく時代なのです。・・・これからは《おおもと》が、主導権をとって生きていく時代なのです。・・・今までは肉体を持った自分だけが、本当の自分だと思っていたのですが、「奥に本当の自分がいるのではないか」と、この頃なんとなく感じておられる方もおられると思います。これからは本当の自分の情報に従って行動に移していきますと、宇宙と調和のとれた結果が出てきます。・・・

「本当の自分」＝真我（神のきらめき）にお任せで生きていく！ということは、実際のところとてもむずかしい。足立さんのいう時代認識は、今日一層顕著になってきている。この小冊子には「波動を上げる３つの条件」をあげて、具体的なアドバイスが提起されている。自分のあり方、生き方、人間関係の見直しについて思うとき、この本から学ぶところはつきない。

「すべては宇宙意識でひとつにつながっている」という感性を獲得できれば、真の共感・協働が実現できると思う。自立しながらサポートしあう対等の関係を築きたい。足立さんは「あるがまま」と「わがまま」は違うという。「本当の自分」を大切にし、そこに重心を置いて思い・考え・行動するときは、「あるがまま」で正解だが、自我に重心を置いた場合は、わがままになってしまう。

根本的な思いをどこにしっかりと据えるか・・・このテーマはヒーラーのみならず、人生を生きるうえで根本的に大切な課題であるにちがいない。

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２．２本目のわら束

居合で日本刀を使ってわら束をスパッと切ってしまうシーンをご覧になったことがあるだろうか。鋭い日本刀で、わら束を切るのだから一見簡単そうに思えるが、実はかなり腕のある人でないと、きれいにスパッとは切れない。

何でもコツというのがある。居合の達人は「２本目のわら束」を設定する。目の前に存在感を持って立ちはだかる１本目のわら束がある。その左側に架空の２本目を心に描くのだ。そして２本目めがけて、２本目を切るつもりで、「エイッ」と刀を振る。腰が大きく、すばやい速さで回り、１本目がスパッと切れてしまう。素晴らしい！！

このとき、実際に存在する１本目は眼中にない。２本目に集中しているから。
このようなコツを知らず、「難しそうに見えてしまう」、「存在感のある」１本目のわら束だけを見て、切ろうとすると、かように腰は回らず、スピードも出ず、結果として、目標のわら束はきれいに切れない。

このコツ、方法は人生を考えるうえでも実に示唆的だ。
人生には、病気や借金、人間関係における悩みなど、試練や問題がいつもつきまとう。そこから逃げ出すわけにはいかぬ。乗り越えていきたい。このような人生の問題、試練、悩みは１本目のわら束（現実）だ。それを超える大きな目標を心に持とう。それが２本目のわら束となる。人生における根本目標といってもいい。そして、２本目のわら束に集中する。すると、１本目の現実はその存在感がうすれ、やがて見えなくなる。無視するのではなく、超越するのだ。

要は２本目をどう設定するかということだ。
そのためには、哲学が必要と思う。自己探求して、認識を深くする。自己実現（真我実現）の方法を知ることだと思う。「人間とは何か？」「人生の意味、目標とは何か？」そうした哲学のテーマに答を求めなければならない。

私は６０年生きてきて、今、「不朽の智恵の教え」（神智学）に出会えた。そこに２本目のわら束をしっかりと設定できた。２１世紀は霊性の時代！　あなたも「不朽の智恵の教え」をちょっと学んでみませんか。宗教や宗教団体とは関係がありません。

＊不朽の智恵の教え：世界のあらゆる宗教およびあらゆる科学的、社会的、文化的業績の根底にある古からの霊的教えの体系。最初に１８００年代後半にヘレナ・ペトロヴァ・ブラヴァツキーによって、そして今世紀になってアリス・Ａ・ベイリー、ヘレナ・レーリッヒ、ベンジャミン・クレームによって一般大衆に書物を通して入手できるようになる。（出典：ベンジャミン・クレーム著、石川道子訳「マイトレーヤの使命」第３巻、Ｐ．４０９）


３．マイロード・マイペース

私の道を私のペースで歩く。試行錯誤や紆余曲折もOK,失敗や挫折もOK、途中休憩もOK。急がないし、背伸びもしない。競争しないし、他人とも比べない。
あるがまま。すべてを丸ごと受け入れる。それでも、目標に向かっているので、「うたしあ」で歩く。「うれしい、たのしい、しあわせ、ありがとう」で歩く。

結果にこだわる限り、不安はぬぐいきれない！
結果よりも行動の動機となる想いと実践のプロセスや方法の純粋さを大切にする。結果はどうでも良いとはいえないが、あまりこだわらない。結果第一で手段を選ばずという愚かな考えは持たず。こうすれば迷いも不安もない人生を歩けないかなあ・・・・ 
つぎはその目標をどう設定するか、というテーマについて考える。

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４．目標設定

人生の目標設定をどうするか？　いやあとても大きな命題だ！
それは、人間の本質に根ざしていること。ではその「人間の本質」とは何か？ということになる。「人間とは何か？」この永遠の哲学的命題に自分なりの答えを見出し、実生活に具体化していくこと。その真摯な生き方をおこない、検証しながら、修正すべきことがあれば修正しながら人生を創っていくこと、それはとても楽しいし、自主的・主体的な人生となる。人と比べて、いいとか悪いとかの評価は意味がない。あくまで自分の生き方において、実践できているかどうかというのが評価の基準になる。

それならば、高い理想を持つのが良い。至高のものをめざすが良い。この１回きりの人生では無理かもしれないような大きな目標。さてさて・・・・如何に？

もし「１回きりの人生、楽しまなきゃ損・・・」というタイムスケールで生きるのなら、五感を満足して生きるのが充実していて良いだろう。できるだけ楽しく、豊かに。でもこの世は、厳然たる無常の世界！お釈迦様はその無常をいかに生きるのか仏法を説かれた。苦というのは心が作り出しているにすぎないと。「空」を悟れと。真理・道理を知り、無明（無智）の闇から脱出せよと。う～ん、仏法は真理そのものだ。五蘊無我。十二の縁起。八正道。身口意の統御。・・・

しっかり哲学しましょ！　そして人生の根本目的を自分なりにしっかりと見出し、日々の暮らしの実践で、検証していきましょう。・・・と偉そうにいいながらも、悪戦苦闘の毎日だ。


５．尊徳のすすめ　①

かつて足立幸子さんがその名著『あるがままに生きる』でこのようなことを、おっしゃってた。「これからは損得ではなく、尊徳で生きる時代」　う～んなるほど、いいこと言いますねえ。

物質至上主義の資本主義社会に暮らす私たちは、当然ながら五感を満足するため、《おいしい食事、りっぱな家、かっこいい車、美人の妻（ハンサムでかっこいい夫）、良い服》を手に入れたいとだれしも考え、計画し、行動する。その夢を手っ取り早く実現するためには、手段として「お金」が一番頼りになる！みんなみんなお金儲けが最大の関心事になる。そのためにいい学校に入りたい、いい会社に入りたいと。「お金で半分以上の幸せが買える」という人もいる。本当にそうだろうか？

当然お金は手段で目標ではない。お金を軽視するのも間違いだし、拝金主義におちるのも悲しい。そうだ。

１本目のわら束＝お金（当面の目標、手段、条件）
２本目のわら束＝人生の本当の目標（生きがいとなる価値）

２本目のわら束を設定できたとき、１本目の目標（お金）は手段として、プロセスとしてクリアできる。人生で何より大切なのはやはり、２本目のわら束設定だ！（わら束の話は、前のブログ「２本目のわら束」を参照くだされ）

尊徳というのは物質性より精神性に重きを置けという教えであり、２本目のわら束についてしっかり考えましょう、ということにつながる。資本主義社会の集合意識はどこまでも物質性に人間の幸福感幻想をあたえる。それに抵抗するというよりも、超越して新たな意識の進化による幸福感を築いていくことが大事だ！！物質そのものの与えてくれる満足というものが人を幸福にするのではなく、物質を手段・条件として活用できたとき、生かせたとき幸せな感覚が共有できる。そのためのお金は必要なだけあればいい。
で、尊徳とは？

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６．尊徳のすすめ　②

人はただ金もうけ、生活費のために働くだけでは満足できない。損得勘定ですべてを仕切ることはできない。どうしても家族やその他とのつながりで社会的に生きがいというものを求める。お金（収入）は客観的に多い、少ないと測れるものだが、こころの充足、幸福感は客観的に測るのはむずかしい。『徳』というのは目に見えない。それだけに直接の目標にはかかげにくい。

私は阿佐ヶ谷の癒しサロンＳＣ（スペースコージー）で週２回（月・金　１４～１９時）施術しているが、お客さんがゼロの日もある。だからといって意味の無い時間を過ごしたとは思わない。たとえ収入につながらなくとも、レイキのチラシを配って少しでも話ができたり、オーナーの肩や腰に手をあてたり（彼女も私も暇があるとき）しただけでも、良かったと思える。

それはたとえ収入としては不満足で、「交通費も今日はでないなあ・・・」と思っても、「きょうもこの手が役に立って良かった。人を癒せて良かった」という実感があるからだ。不足に目を向け、不満のこころをかきたてると、そちらに行為の全的意味が付与されて、本質的な価値を見失ってしまう。徳というのはひそやかに人のために、役立ってうれしいという感情からつくられていく。癒しといえども集客をかかげおしつけがましいのは自分のエゴからの行為で、相手には迷惑なもの。余計なお世話。相手との距離感を冷静に測って、相手の世界を侵害しない謙虚さでつきあい、サポートさせていただけるとうれしいというスタンスでいきたい。行為の意味は損得ではかるべからず！　尊徳ではかれ！


７．運命は変えられるか？

２００７年６月３日、直傳ヒーリングセンター東京（町田）に久しぶりに足を運び、寺島師範の講演会に参加した。

主要テーマは「運命は変えられるか～水野南北と袁了凡の運命転換法」、他には「国家権力が認めたもう一人の超能力者～長南年恵」、「弱者が肉体改造を通じて超人へ生まれ変わる～肥田春充」というなかなか聞けないマニアックな日本の達人伝！

内容もさることながら寺島師の芸人らしい（？）演技力あふれる口上（解説）に驚いた。当時の時代背景や風俗までまじえての話に、長時間の講演にもかかわらず、集中できた。とにかく直傳センターの小さな集りだけではもったいない話だ。今後はもっと一般の人も交えた会場で講演してほしい。

靈氣の創始者臼井甕男（うすいみかお）先生と同時代の庄内藩（現在の山形県出身）の靈人・長南年恵（女性）の物質化現象をはじめとする超能力もすばらしい。もっと真実が知りたいものだ。

寺島師の演技力を生かして今後は“講談風”にアレンジした場面を盛り込んで、生々しくその当時の雰囲気を再現したりしてみてはどうか。きっとインパクトの強い講演ができるだろう。


８．運命は変えられるか？　YES！

さっきのブログ「運命は変えられるか」の答えはどうなってんの？　という問いかけが来た。答えはYES!　ではどうやって？？

寺島師のお話のなかに一つの答えありき。それは徳を積むこと、とりわけ陰徳を積めというのが方法だ。運命はあらかじめ方向づけられているが、それを宿命という。もともと宿っている。しかし不変ではない。なぜか。万物は流転するからだ。エネルギーの質と量によって変化する。一瞬一瞬変化する。「徳」はプラスのエネルギーだ。

足立幸子さんは「これからは損得ではなく、尊徳で生きる時代だ」とおっしゃった。政木和三さんは陰徳のすすめを説かれた。徳を積むことについて、陰徳を積むことについて、自分にとってなにができるだろう・・・と考えてみるとその深い意味が少しは理解できるかなあ・・・

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９．モワレ現象

「波動フォーラム・第１３号」（国際波動研究所発行）で阿久津淳氏が紹介されている。とても示唆的な内容があるので紹介する。

阿久津氏は「波動の奥には高次元のモワレがある」という仮説（？）を提起している。・・・以下引用する。

「網目の模様を重ねると、円形状や六角形状のさまざまな波目の模様（モワレ）が発生しますが、これは『網目＋網目＝２つの網目』ではなく、『網目＋網目＝２つの網目＋モワレ現象」ということを意味します。

これを突き詰めていくと、例えば一般的に波動の寄せ集めと言われている粒子（３次元での特異点）は、４次元以上の波動の連続性のモワレによる３次元での表現ではないかと考えられます。さらには、Ｎ次元の波動はもっと奥の次元のモワレのひとつの表現ではないかとも推測しています。つまり、次元が一つ上がらないと真相は見えてこないのです。」（引用終わり）

「波動」というコトバを「エネルギー」というコトバに置き換えるとより理解しやすいのではないか。それにしてもモワレ現象を見て次元での認識レベル差を洞察されたのはすごいと思う。

誰の眼にも映る物体はたとえ静止しているように見えても、実のところ、原子核レベル、原子レベル、分子レベルで連続的に激しく振動しているのが実相だ。肉眼では決してそのようには見えないけれども。私たちは現象を便宜的に静止して、観察する。物質には波動性、粒子性があるが、「粒子」はまさに３次元で切り取った物質本体の一つの局面でしかない。それは氏が指摘するように、波動と波動がおりなす渦のなかで生じたモワレを捉えたに過ぎないのだろう。

モワレは３次元認識で、４次元視点からみると実相は２つの網の重なりである。モワレは３次元ならではの「虚像」といえるかもしれない。

例えば、平面図（２次元世界）でＸ印と認識しても、立体図（３次元世界）では２本の直線が交差しているだけで重なっていないという実相が認識される。平面図ではＺ軸が見えてこない。これもひとつ上の次元に視点を置くことによって現象を正しく認識できることを教えてくれる。

セラピーや癒しの場面でも、肉体次元より上の視点から、病態を見ることが大切であろう。カイロプラスの施術はまさにこのテーマを研究しながら実践してきた。そう、肉体を見ず、エーテル体を観よ！
　＊カイロプラスのＨＰ：http://www.geocities.jp/meigendo/


１０．３元の世界？

この世、この現象の世界は２元の「相対の世界」といわれる。裏と表、善と悪、上と下、天と地・・・、それは究極の両極端があるということ。存在論としては正しい。少なくとも存在の運動方向を規定している。

一方で、存在としての原子や分子、具体的には私という１個の人間という存在の主体から見ると、たとえば「私は善の方向にも悪の方向にも動くことができる」、それは存在の主体たる私の自由意志（考え方、価値観にもとづく）によって選択しうることになる。そうすると、２元の存在様式のなかで、運動の主体たるたとえば人間は、世界の中で変化変容の担い手として主導的役割を果たすことができる。

主体的人間論・人生論を考えるとき、天と地という両極的実在の存在形式を超えて、世界を変容できる主体としての人間が、まさに「間（あいだ）」に入ることによって、真にリアリティをもって、時空の変容のダイナミズムをとらえることができる。

「天と地」という２元的存在形式に視点を置いた世界観より、「天と地と人間（存在の主体）」という３元的運動ダイナミズムに視点を置いた世界観の方が、主体的でより世界を能動的にとらえ、人生を切り開いていく世界観になるのではないか。その方がリアリスティックであるに違いない。

この考えは今朝方突如思いついたが、主体を人間以外のもっと本質的なもの、分子や原子レベルに微細化しても正しいといえわしまいか。たとえばコインの両極は『裏と表』という存在形式をとっているが、大部分を占める内実の銅などのコインを存在たらしめている金属の分子・原子は存在の主体として、主導的役割を果たしているといえる。かれらの連携のもとにコインという全体としての形状が保たれている。

私たちは現象の突出した形状（裏とか表、善とか悪）ばかりに目や心をうばわれるが、現象の真の担い手である、主体部分を現象の本質（原因）としてしっかり見ることが大切だ！　この主体的世界観～３元論を少し深めてみたい！

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１１．やっぱりセンターリングから

「センターリングができていない」とか「いや、グランディングができてないよ」とかいう。

いったいどういう意味でいうのだろうとしばらく考えていた。私なりの解釈は、天と地の間に立つ人間が、天をめざして目的意識的に人生を生きるのか、それとも地にとどまって地上でしっかりと生きるのか、そのあたりのことをいっていると思う。

精神世界（本質の世界）に関心のある人たちは、エゴをベースとした現実のどろどろした実生活からかけはなれて、精神性に重きを置くためにしばしば「現実離れ」した考えや行動をとることがある。いわゆる「地に足が着いていない」という批判を受けやすい。本質を追求することはすばらしいが、地上という学びの場（だれかさんが「里の修行」といっていた）を離れて抽象的に頭でっかちになるのは本末転倒だ。現象の世界に依拠して本質を見抜き、創造性を発揮していくことこそが求められる。

一方物質世界（現象の世界）でしっかりと生きている人はしっかり者として社会的には評価されやすい。その反面競争や能力差、要領の良し悪しなどの条件に翻弄されるとき、動揺しかねない。物質に価値を置く考えだと≪得られないとき、失うとき≫苦しみが生起する。物質を超越したところに人間の本質（モナド＝神性）があると私は考えているので、そこを重視した生き方こそ≪人間的で幸せな生き方≫だと考える。
現象を現象たらしめている原因（本質）をしっかりと観て、人生のベクトル化をなすことが先決と思う。つまりまずはセンターリングだ。人生の方向を天にしっかりベクトル化して、それからグランディング（調和、安定）、与えられた地上の経験を積んでいく。そのように考えたい。


１２．幻肢痛

幻視ならぬ幻肢をご存じ？
幻肢とは切断後にも、まだあるかのように本人が感じる手足のことだ。切断されて実際にはもう存在していない、手先やつま先に、「針で刺されたような」痛みが出たりする。切断された方々の約７０％がそのような痛みを訴えるそうだ。

また、「無いものが見えるという幻視とは違い、切断をしていない人でも目を閉じたときに自分の手や足の形や動きを感じることができるように、切断された手足の形や動きを感じるという現象」だ。運動イメージが脳に残存しているとする脳科学からの解明も進んでいるようだが、私は秘教的視点から、「肉体を取り巻き保護しているエーテル体は手足の切断後も原形を保ち続けており、生命エネルギーの出入を繰り返している」と考えている。

直傳靈氣研究会にも手を切断された方で、セミナーを受講されレイキエネルギーを普通に流している人がいると山口忠夫先生から聞いたことがある。

無くなった手の残存イメージ（幻肢）は６つに類型化されている。おそらくエーテル体も様々な変化を伴い、残存イメージの違いを生み出していると考えられる。

＊＊以下のサイトに義肢づくりの方の報告がある。興味のある方はご覧下され。

http://www.rehab.go.jp/rehanews/japanese/No263/8_story.html


１３．口癖をチェックせよ！

私なんか・・・、どうせやっても・・・　その言葉の先には人と比べて自分は駄目だという思いやいつもうまくいかないというあきらめなどがある。つまり口癖には習慣的な思いが反映している。そしてその口癖という習慣は、想念形態というエネルギーを創りだし、現実的・具体的な形にエネルギーを換えて、ついには現象化（現実化）する。

ネガティブな思いからくるネガティブな口癖という習慣がネガティブな世界を創り、ポジティブな思いからくるポジティブな口癖という習慣がポジティブな世界を創る。

繰り返し唱えるマントラ（真言）や祈りの言葉はポジティブな思いを反映する口癖のようなものということができる。それは良い思い込み（想念）を言葉に出して、一層イメージしやすいものに強めてくれる。言い換えれば現象化しやすくしてくれる。好ましい口癖、望ましい口癖を言って、好ましいイメージ、望ましいイメージをつくり、良い現象を引き寄せよう。

カイロプラスの「統合プログラム７７」にはレイキやＥＦＴの施術とともに、アストラル体、メンタル体の浄化を進める多様な技法が網羅されている。マントラや祈り、呼吸法、浄化法などがある。

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最後までお読みくださり、ありがとうございます。
引き続き　Vol.２も発表していく予定です。現在、「シェアヒーリングのすすめ」～分かち愛のヒーリング～を執筆中です。今後ともよろしくお願い致します。
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著者プロフィール
森　泰人（もり　ひろと）



１９５２年広島市に生まれる。エネルギー療法の研究実践家。
直傳靈氣研究会師範、レイキマスター、ＥＦＴプラクティショナー、レイキセラピー協会会員。補完代替医療の推進を掲げ、カイロプラスを運営。施術、セミナー・講座の開催、研究活動を行う。広島県廿日市市在住。

＊カイロプラスのホームページ：http://www.geocities.jp/meigendo/
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＊ツイッター：http://twitter.com/Plusultra3
＊ブログ「根本治癒をめざして・・・」：http://geocities.yahoo.co.jp/gl/meigendo/

＊出版社Smashwordsの著者紹介ページ： 
http://www.smashwords.com/profile/view/chiroplus2012

＊直傳靈氣研究会のホームページ：http://www.jikiden-reiki.com/

＊レイキセラピー協会のホームページ：http://reiki-therapy.org/

＊連絡先：メール　chiroplus2012@hotmail.co.jp

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